病気は私のブレーキとアクセル。子供のために何かを残す生き方をしたい。#1 | ayuka_hit

がんや難病などを告知された患者さんの「告知から5年以降」の情報を集めていく「AFTER5(アフターファイブ)」。第一回記事の公開です。

お話を伺ったのは、2007年に全身性エリテマトーデス(SLE)・抗リン脂質抗体症候群と診断を受け、現在は一児の母でもあるayuka_hitさん。

記憶が曖昧になるほどショックを受けながらも、出産をしたayuka_hitさんの「AFTER11」をお伝えします。

インタビュー実施日: 2019年7月
娘さんが撮ったという写真で良い笑顔!

プロフィール

  • 名前
    • ayuka_hitさん(ハンドルネーム)
  • 年齢・性別・居住地
    • 1980年生まれ・女性・長野県在住
  • 職業
    • 人材サービス業の営業企画として勤務中
  • 家族構成
    • 夫と娘の3人暮らし
  • 趣味
    • 食べること、料理動画を見ること、出かけること、刺繍などの手仕事など
  • 現状
    • 2007年に全身性エリテマトーデス(SLE)・抗リン脂質抗体症候群とわかり、2018年にシェーグレン症候群も発覚、治療中(2019年現在)

転職、結婚、妊娠出産……予想もしなかった未来にいる

── ayuka_hitさんの病名と病歴について教えてください。

ayuka_hit2007年、26歳のときに全身性エリテマトーデス(SLE)と抗リン脂質抗体症候群がわかり、2018年にシェーグレン症候群もあることがわかって今に至ります。

── 「AFTER5」では、まずは「5年」を一区切りとしています。ayuka_hitさんが病気になって5年経過した頃は、どのように過ごしていたのでしょうか?

ayuka_hit病気がわかった時に勤めていた会社から転職しました。転職先では残業が多く、環境的にも身体に相当負担をかけてしまい、それもあって胸膜炎を起こしてしまいました。それがちょうど5年経過したくらいの出来事です。病気で苦しいことはありましたが、仕事そのものは刺激が多くて勉強になることばかりでした。

── SLEと抗リン脂質抗体症候群の判明から10年以上経つ今は、他に変化はありますか?

ayuka_hit病気になってからもずっと仕事をしています。結婚・出産も経験できました。

仕事面の変化といえば、再度転職しました。転職先では病気を隠しておらず、病名と通院先を同じ部署のメンバー全員に伝えています。「こういう病気がある」と知ってほしい気持ちもありますし、もし職場で急に倒れた際に、同僚が病気について知ってくれているだけで対応しやすくなるかなと思っているからです。

プライベートでは結婚して、5歳の子供がいます。12年前の病気発覚時には「妊娠出産は難しい」と告げられていたので、今は全く予想もしていなかった日々を過ごしています。

娘さんとの仲良しツーショット

「こんなことで病院に来ないで」と看護師に言われたけれど実は難病だった

── 難病であることが判明したのはどのような経緯だったのでしょうか。

ayuka_hit私の場合、最初は謎のアザから始まりました。ぶつけた記憶はないのに指や足に青アザができて、なかなか消えない。特に左足の膝がひどくて、膝全体が真っ黒になるほどのアザになりました。2週間経っても3週間経っても消えず、1ヶ月経過する頃、親や同僚から「明らかにおかしいから病院に行った方がいい」と何度も何度も言われて、やっと病院に行きました。

その頃は残業が増えてストレスも多いと自覚していたので、私自身は「寝ながら壁に膝蹴りでもしてるのかな〜」程度の認識でしたね。

── 病院に行く気になるまでに時間がかかったんですね。

ayuka_hit実は出張先で座学での研修を受けている時に、右半身が動かないという症状があったのですが、「うわ〜、右手も右足も動かないわ。私疲れてるんだなぁ」と思って放置。数時間後には特に問題なく動かせたので、そのままにしていました。自分がこんな状態だったので、周りからしつこく言ってもらえなかったら病院に行かなかったと思います。

── ひどいアザと体が動かせないという症状から考えると、どの診療科に行くべきかぱっとわかりません。どの科で受診したのでしょうか。

ayuka_hit膝が真っ黒、足があちこち大きな青アザだらけという状況で何科がいいのかわからなかったため、会社の健康診断で行っている総合病院の内科外来に行きました。受診前に看護師さんによる問診があったのですが、「どうせどこかにぶつけたんでしょ。そんなことで病院に来ないでください」と言われたことが今でも忘れられません。

その後診察を受け、血液検査をし、翌週も翌々週も検査があると呼ばれて通院。なぜ検査が続くのかわからないまま通っていました。

4回目くらいの通院で、担当の医師が「あなたの病気はこの病院では専門科がなくて診られないので、専門科がある病院を紹介します」と小さな声で言いました。その時に先生が手元の検査結果の紙に「SLE」と書いたのが、初めて自分の病名がわかった瞬間です。

その病院では病気に関する説明がなかったので、私は帰宅してから「SLE」をネットで検索して、自分がかかっているのが難病であることを知りました。

── 検査を何度も重ねないと発覚しなかったんですね。

ayuka_hitそうなんです。発覚前は主に血液検査で、発覚後はCTやMRI検査もうけました。紹介先の病院では初めての受診で「SLEと抗リン脂質抗体症候群ですね」と言われて、「あれ? 病気が1個増えてる……」とびっくり。右半身が動かなかったことを話し、いろいろ検査を受けた結果、もしかしたら一時的に脳梗塞のようなものになっていたかもしれないと聞いてさらにびっくり。

そして思ったのは、「難病にかかった場合は告知されるっていう感じじゃないんだな」「家族と一緒に診察結果を聞かなくていいんだな」ということでした。もちろんこれは私の場合の話なのですが。

── 現在ではもう一つ、「シェーグレン症候群」も抱えていらっしゃいます。

ayuka_hitシェーグレン症候群がわかったのは昨年(2018年)です。いくつか気になる症状を伝えたところ、シェーグレン症候群が疑われ、検査の結果、診断の項目を満たしていました。

以前からずっと気になっていた「どれだけ水分をとっても口が渇く」「耳の下がめっちゃ痛い」などの症状がシェーグレン症候群によるものかもしれないとのことで、原因がわかってよかったです。

── SLEの症状について教えていただけますか。

ayuka_hitSLEには主に共通するとされる症状は存在するものの、十人十色だという特徴があるそうです。私の症状についてはSLEの症例の一部に過ぎないと思ってください。

私の場合は、繰り返し現れる青アザ(皮下出血)・皮膚に発疹が出る・口の渇き・指や手の痛みとしびれなどの症状が日常的に出ます。最近は全身がだるくて動くのがしんどいこともたまにあります。

紫外線を避けなくてはいけない病気でもあります。日中屋外に2〜3時間いると、発熱や全身のだるさに襲われて動けなくなりますね。日傘・帽子・UVカットの服で備えていてもダメ。子供の運動会など屋外行事への参加はしんどいこともあります。

病気の発覚後しばらくは、服薬せずに様子をみていました。薬を飲み始めると止めるのはむずかしいと主治医から聞いていたので、極力飲みたくなかったんです。しかし、冬の時期に風邪を引いたのがきっかけで一気に体調が悪化してしまったため、服薬を開始。それ以降は量の増減や種類の変更はありつつ、毎日服薬を続けています。私の場合は血液が固まりやすくて脳梗塞や心筋梗塞を引き起こす危険性があるそうで、血栓予防の薬も飲んでいます。

── 現在の体調はいかがですか?

ayuka_hit体調は日によってさまざまです。原因不明の痛みに苦しんだり、他にいろいろな症状が出ては消えを繰り返しています。でも、元気な日はとても元気です! 疲れてくると顕著にだるさが出て、朝から動くのがきつかったり、腕のしびれが強くなったりします。私は無理しやすい性格なので、そういう時はきっと体が「休め」のサインを送ってくれているんだと感じます。

「ストレスと疲れは病気を悪化させるので避けましょう」と言われますが、どうしても仕事と家事育児の両方をしていたら無理ですよね。夫以外には近くに子供を見てくれる人がいないので、育児の疲れはほぼ避けられません。

お出かけ先での一コマ(2018年)
── 治療による副作用や、困ったことはありますか?

ayuka_hit顔がパンパンに膨らむ「ムーンフェイス」という副作用が出て、外見に直結してしまって悲しかったです。今ならたぶん気にしないだろうとは思いますが、当時は20代後半だったので、アンパンマンみたいに膨らんだ自分の顔が憂鬱でした。

他に気にしていたのは、食欲が増進してしまって食欲のコントロールが必要だったり、気持ちの浮き沈みが出たりすることでした。刺激にものすごく敏感になるという症状もあって、知覚過敏になって歯磨きが痛くて泣きましたね。知覚過敏用の歯みがき粉と歯ブラシに助けられました。

困りごとといえば、服用する薬の量が多かった時は1回に9錠くらい飲むため、どれを飲んだか分からなくなって困ることがありました。朝忙しい時は特に……。薬局で頼めば分包が可能だと知って以来は、1回に飲む量を分包してもらっています。とっても助かるので、おススメです!

SLEに効果があるとして数年前に日本で認可がおりた薬があったので、量を少なめにして試したところ、ものすごい腹痛とだるさに苦しみました。結局、すぐやめることになってしまいました。

どん底まで落ち込んだけれどまだ私は生きていた

── ご自身の病気がわかった時の心境を聞かせてください。

ayuka_hit告知らしい告知もなく、最初は医師の走り書きの文字から病名を知ったくらいですし、専門科の初受診ではサラッと病名とその説明があった程度だったので、まずは「何やら大変な病気になったみたいだけど、さて?」という感じです。病院を出たらすごく良い天気で、青空が高くて、夏が来るっていう感じの爽やかさでした。その空を見ながら「親に言わなくちゃ……悲しむだろうな……」と考えていました。

── ご家族にはどのように話されたのでしょうか。

ayuka_hit親は真っ黒なアザだらけの足を見ていましたし、毎週検査が続いていたのも知っていたので、既に私が病気であるという覚悟はしていたと思います。親には専門科の受診後に連絡しました。

当時私は1人暮らしだったので、父と外で会い、2人で夕食を食べに行きました。食べ物の味は全く覚えていませんが、少し食べたと思います。父は私以上にショックを受けていたけれど、なんだか一生懸命励ましてくれていた気がします。

── 今は職場の方には病気について話しているとのことでしたが、発覚当時はどうされましたか?

ayuka_hit当時はとても仕事が忙しかったので、万が一脳梗塞などが起きてみんなをびっくりさせないよう、今の職場と同じようにすぐに上司と同僚に伝えました。

毎月の通院以外は特に生活の変化がなかったため、仕事内容には特に変化なく、同僚の協力を得ながら業務量を調整して極端な残業が発生しないようにしていました。病気を知った後もきちんと仕事ができていたと思うのですが、実は、専門科受診後から1週間くらいの記憶があまりありません。

── 記憶がないというのは?

ayuka_hit病名が判明した当日に父と食事してから1人で帰宅した時に、強烈なインパクトで一気に落ち込んで、「あ、私死ぬのか!!」と思いました。そこから毎日「死ぬんだな、そうか死ぬんだ」と、かなり真っ暗な気持ちで数日を過ごしていて、その間を覚えていないんです。たぶん普通に暮らしていたと思うのですが……。

1週間くらい経った朝、起きた時に、「あれ?意外とまだ死なないな……」と思って、そこでどん底から抜けました。

難病を抱えながらの妊娠・出産

── 妊娠や出産は母体の健康に大きな影響を与えそうですが、ayuka_hitさんの場合はどうだったのでしょうか。

ayuka_hit妊娠して産婦人科を受診した時に、夫ともに1時間半くらいみっちり説明を受け、「母子ともにハイリスク妊娠・出産になる。赤ちゃんに障害が出る可能性がある」と言われました。

産むか、産まないかの選択については、私は「産む」一択でした。

夫はこの時の説明の内容が若干トラウマ気味になっている様子です。私も病気の判明以来久しぶりに、自分と死の距離が近いことを、ひしひしと感じました。

── 妊娠中はどのように過ごしていましたか?

ayuka_hit妊娠中は他の妊婦さんよりも診察の回数が多かったり、薬の種類が変わったりと、生活面で注意しなければならない点も少しありましたが、仕事は続けました。できるだけストレスと疲れを溜めないように気をつけて過ごしていました。産婦人科医、膠原病専門医、助産師さん、看護師さん、家族……皆さんに支えられて、なんとか無事に出産を迎えることができました。

妊娠中はSLEの症状が安定すると言われていたのですが、本当でした! 日常的に出ていた症状が全てなくなり、お腹の子供を守るために体が変化していることを如実に感じました。生物って不思議ですね。

出産を機に症状が悪化することもあるそうですが、私の場合は急激な悪化は避けられています。強いていえば、以前よりだるくなることが増えた程度だと思います。

生まれたてのお子さん(20XX年)
── 育児もストレスや体力の低下を引き起こすことがあると思いますが、どのように乗り越えているのか教えてください。

ayuka_hitできるだけ無理をしない、無理をしてしまった後はきちんと休む、ということを心掛けています。子供を寝かしつけるのと同じ21時に寝たり、休日は一緒にお昼寝したり、横になって体を休めるようにしています。

子育ては気力体力共にすごく消耗します。ですが、子供から学ぶことは多く、子供に支えられることもたくさんあります。不安になることはたくさんありましたが、子供がいてくれる今に感謝しています。

── お子さんは「お母さんの病気」については分かっていらっしゃいますか?

ayuka_hit子供には病気の話をしてあります。日頃から私の体調を気遣ってくれますし、4歳の頃から「大きくなったらお医者さんになる。そしたらお母さんの病気を治してあげられるでしょ」と言っています。びっくりしましたが、子供なりに病気を理解してくれていると感じます。ゆくゆくは、私の病気など気にせずに、好きなことをして生きていってほしいと思っています。

娘さんが「おいしゃさんになれますように」と書いた短冊(2019年)

あの時の自分へ。これから治療をする人へ。

── 「あの時こうしておけばよかった」と思うことはありますか?

ayuka_hit発症後は「仕事で無理しすぎたから病気になったんだ」と思って落ち込んだ時がありました。気持ちを整理したり、自分ごととして受け入れるために、“落ち込むこと”は私にとって必要な時間だったと思います。

ただ、原因がはっきりわかっていない病気ですし、そもそも原因がわかったとしても過去には戻れませんから、振り返って落ち込んでも病気が治ることはありません。「原因探しをするのではなく、今とこれからを見ることに時間を使えていたらよかったな」と。ですので、今は「今とこれからを見る」に注力しています。

── 12年前の自分へ伝えたいことはありますか?

ayuka_hit「自分を大切にしなさすぎ! 相当体に異変が起きてるんだから気がついて!!」とは言いたいですね……。

当時は真っ暗な気持ちになって、記憶も本当に真っ暗なんですけど、「意外と死なずに生きている」ことに気がつけたのはよかったかなと。

── これからやりたいことや夢があれば教えてください。

ayuka_hit病気になったことで、生きている時間を意識するようになりました。私にとっては、病気を通じて「死ぬこと」と「生きること」が一緒になったという経験で、自分の中に1つ芯ができたと感じています。「生きている間に何をやるか?」のアクセルを踏みつつ、無理をすると症状が出るのでブレーキがかかって半強制的に休む。そのバランスの中で生きていくのだと思っています。

そして、私がいなくなっても、娘に何か残せるように生きたいと思っています。娘には、限られた人生の時間を楽しむことを伝えたいです。

日本では今、家(生活)と仕事・学校(社会)の往復で生きている人が多いけれど、それだけだと心も体も余裕を失いがちです。私自身もそうでした。

自分の中に余白の部分を持つことって、本当に大切だと考えています。今病気と闘っている方も、5年という時間を経た方も、その余白を積極的に持つことを大事にしてほしい。「やらなきゃいけないこと」だけに人生を使い切らず、「やりたいこと」をやる余白時間を持つ。それを広めていきたいなと思っています。