「希望は断つのではなく、つないで先を見る」難病SLEを抱えながらすい臓がん治療中のmimimiさまの記録

がんや難病などを告知された患者さんの「告知から5年以降」の情報を集めていく「AFTER5(アフターファイブ)」。第4回記事の公開です。

今回はアンケートに回答くださった方の中から、mimimiさまにメールインタビューを実施しました。AFTER5は”がんや難病など”の患者さんからお話を伺っていますが、mimimiさまは難病患者であり、がん患者でもあります。

インタビュー日: 2020年4月

プロフィール

趣味の着物を着るmimimiさん(左)と娘さん(右)
※中央はご友人のためぼかしを入れています
  • お名前
    • mimimi
  • 年齢・性別
    • 1967年生まれ、女性
  • 家族構成
    • 同じ生年月日の夫
    • 長女 23歳
    • 次女 18歳
    • 三女 16歳
  • 病歴
    • 膵臓がんステージⅢA(罹患1年)
    • 難病 膠原病のSLE(全身性エリテマトーデス 罹患22年)

難病について

── 難病とがん、それぞれ罹患されたのですね。まずは難病が発覚した経緯を教えてください。

長女を出産後に発症しました。

出産(1996年)後、2か月後くらいから皮疹が出て、皮膚科に行くと蕁麻疹診断で点滴と服薬で様子見。発疹はまた出たり、異様な倦怠感(ほとんど寝て過ごし、家事は最低限)や体にいろいろな異変を感じていました。

8月になり、娘の皮膚科受診で以前とは違う病院にかかったついでに私も受診し、これまでの体調などを伝えると「大きい病院で検査した方が良い」と言われ、総合病院を受診。皮膚生検や血液検査で8月中頃に告知、確定。すぐに入院検査、治療と言われましたが、10月中頃に入院し、精密検査、治療となりました。

── SLEがわかった際、最初に思ったことを教えてください。

え?何?難病?

全く知らない病名で“難病”という言葉と、「治らない、治療方法はわかっていない」と医師から告げられた深刻さに動揺したと思います。

知らないことへの不安という方が正しいでしょうか。

──その後20年以上病気とともに暮らしています。最初の「動揺した」状態から、日常生活を送るまでに、どんな気持ちの変化がありましたか?

まだインターネットから情報が得られない時期で、図書館などの本を読めば怖いことしか書いておらず(5年生存率が6、7割とか)、言いようのない不安感のまま退院。それでも家族で過ごすことがうれしく、必死で家事や子育てしていましたが、ステロイド大量投与を継続していたため、感染症と紫外線対策に注意し、引きこもり状態でした。

半年後に膠原病患者会の交流会に参加し、長年病気と付き合って来られた元気な先輩患者の姿にとても勇気をもらい、外出や興味のあることへ意識が向きました。

さらに患者会活動にかかわり、パソコンを使うことを覚え、少しずつ段階を追って、日常を平静な気持ちで過ごすことができるようになりました。

──難病では通院・服薬などの治療をされていますか?日常の主な症状や、発症からこれまでの体調の変化などお聞かせいただけますか?

SLEの治療は、当時はステロイドが基本で、免疫抑制剤も選択としてありましたが、将来的な出産を希望していたため、ステロイドだけ最大量から治療開始しました。

少しずつ減量して、再燃が見られたら増量を繰り返し、現在も結構な量を飲んでいます。通院も頻繁でしたが、現在は2か月に1回程度に減りました。

ステロイドは副作用が大変ですが、私はあまり大きくありません。量が多い時に精神的に高揚感があって躁鬱状態だったり、飲み忘れるとフラフラになったりと自分の体でいろいろ体験して、付き合い方を覚えたと思います。

SLE闘病当時、ステロイドの副作用で満月様顔貌(ムーンフェイス)

がんについて

──病名を知ったきっかけを教えてください。

「腹部が重い、体がだるい、背中が痛い」という症状から近所で内視鏡など受けましたが異常なし。簡易な人間ドックの際、自分で調べた情報を元にオプションで腹部エコーを受け、すぐに精密検査、告知となりました。

──がんの告知を受けた際、一番初めに頭に浮かんだことを教えてください。

どれくらい生きられるかな?

──副作用や術後の経過などによって、日常生活を送る上で困ったことはありましたか?

術前に抗がん剤使用。術後も使用しましたが、主治医に副作用も含め体の不調を訴えてもあまり聞いてもらえず、緩和ケア科受診も回してもらえず、一人で不安と体調不良に苦しみました。

また、術後の特徴的な下痢症状は、共感できる情報に全く出会っておらず、未だに手探りの対応です。

── がん治療の具体的な流れを教えてください。

2019年2月22日にすい臓がんと診断。手術できるかどうか境界だからと大学病院を紹介してもらい、3月5日から検査入院。

既に黄疸が出る状況で、検査と同時に胆管ステント留置し、手術できるとの判断で、術前抗がん剤治療開始。経過もよく2週間で退院。2週間に1回の通院で3か月。

6月19日に十二指腸、胆管、すい臓頭部半分と門脈周辺血管ごと切除。

経過は大変よく(術後の痛みはほとんどなく)スムーズに退院。

抗がん剤の副作用がひどく、10月から12月まで抗がん剤休止。2020年から服薬だけ再開し、腫瘍マーカー、CT検査も正常のため、抗がん剤治療は中止になりました。

── 膵臓がんの治療は難病治療と連携して行われているのでしょうか?

SLEは幸い寛解状態で、ステロイド、胃薬、骨粗しょう症薬だけで管理していたので、すい臓がんになって開始した薬と相互作用が発生して困ることはありませんでした。

元々かかっていた総合病院から、すい臓がんの手術をするために大学病院のリウマチ・膠原病科に転院して検査結果など共有してもらっています。

がんの担当医は「命にかかわるがん治療が優先!」と考えている趣もあり、膠原病科の先生は「がんも免疫系の治療だから、がん治療が無事に済めばそんなに膠原病が再燃することないよ」と安心する言葉をかけていただき、落ち着いて両方の病気と付き合うことができています

── 難病とがんを同時に罹患したことで、治療の際に何か困ったことはありましたか?

困ることはありませんでした。転院しても膠原病の主治医と面識があり、いろいろ不安を解消できる対話ができていたからだと思います。

一般的には新しい医師との付き合い方で不安が募るでしょうし、SLE治療薬を私は最低限で希望してきて、増やそうとする医師には「飲まない、生活習慣などでがんばる」としていたため、すい臓がん治療に差し障る薬も飲んでいなかったのでスムーズだったと思います。

── がんの主治医に副作用など体の不調をあまり聞いてもらえなかったこと、緩和ケアへ回してもらえなかったことで、お一人で不安と体調不良に苦しまれたことは辛い経験ですね。難病の主治医には相談できましたか?

がんの主治医の件はそれとなく膠原病の医師にも伝えましたが、がん主治医に対して何かできることはなく、気になる症状に対する投薬などは動いていただきました。

また、他の科(味覚障害で耳鼻科にかかりたい希望)へ紹介してもらったり、できることはしていただきました。

── 病院や社会制度などに対して「こうしてほしい(ほしかった)」ということはありますか?

がん主治医の紹介がなくても、がん相談センターから緩和ケア科の受診ができるようになってほしいです。何をするにも、主治医紹介がないとできない現状が、行き詰まり感が強く絶望とも感じられたから。

県の一番主要ながん相談機関なのに、対応が他人事のように感じました。もっと患者に寄り添う傾聴や対話の技術を身に着けていただきたいと思います。

私は、20年以上患者会というボランティア活動を通して、『患者や家族が相談するという行動は、とても勇気が必要で、答えが明確でなくても、話を聞いてもらい、心の不安感が軽減する』ことを実感してきているから、余計にそうした専門職への要望が増します(笑)

また、ピアとしてがんサロンの方も茶話会に行きましたが、まとめ役がいないためか、充実感が感じられないのは残念。

患者さんの心理的負担を軽減して、闘病に対する怖さ辛さ、不安を解消してほしい。その精神的な作用は、がんの克服に向けて力を与えてくれると信じています。

──治療中、良かったことや助けられたことを教えてください。

SNSでは病名は控えながら公表しており、知人・友人が常に気にかけ心配してくれているのが、常に感じられて心強いです。

── 特に嬉しかったエピソードはありますか?

毎日のように投稿していますが、誰か彼か心配してくれているコメントがあり、「元気に楽しく過ごしている様子に安心してるよ~」と個別に連絡くれたりしています。

特にうれしいのは、病気についてではなく、私自身の日常に対するコメントです。病気に振り回されるのではなく、人として接してくれること。特別扱いでないことでしょうか。

あとは、遠方の友達などこっそり見守ってくれていることを後から知って、うれしくなることですね。

お仕事について

──治療中、仕事は継続しましたか?

パートですが退職を前提に、引き継ぎのため出社。治療経過をみて、時折臨時勤務しています。

──病気のことを職場で報告しましたか?

特に隠さず報告しました。

──職場や上司などへの報告で不安だったことや困ったことはありましたか?

少ない人数の会社なので退職して次の人を早く入れてもらわないとどうにもならないと思い、すぐ退職しました。

──病気について会社へ伝えた際、どのような反応でしたか?難病のことを話した際と、がんについて話した際、それぞれ教えていただけますか?

難病に関しては面接時に伝え、注意点としては紫外線と寒冷だけだったので、週に何日かの出勤で通院も困らないことから特に問題ありませんでした。

がんの時は、電話ですぐに連絡し、休むことになり、先々で退職する旨を伝えました。とても残念がってくださり、できる出勤方法や在宅でもできる仕事など検討していただきました。結局、私の資格や特技を活用するために、在宅勤務や出られる時の出勤を再スタートしています。今は、週に2.3時間出勤と在宅アドバイスくらいです。

──病気になってから現在に至るまで、仕事をする上で困ったことや嫌だったことはありますか?

特にありません。「できるなら復帰しておいで」と、常に励ましてくれるから。

──病気になった後、就職活動や転職活動で困ったことはありましたか?また、ハローワーク等どこかに病気のことも含めて相談されましたか?

10年くらい在宅で様々な仕事を受けており(入力や覆面調査、テープ起こし、取材執筆等々)、そこで知り合った方から紹介いただいた仕事でしたので、病気があるなしの相談はしていません。

がんになって、失業保険を受けるためのハローワークでは、がんのことを出した上で紹介など窓口でしていただきましたが、就業する決意には至りませんでした。どのレベルなら自分が働けるか自分自身がわからず、決心できませんでした。

──働くことについて医師からアドバイスはありましたか?

これは、難病として感じた時のことですが、医師は”翌日に疲れが残って動けないという状態でなければ、どのような生活を目指しても良い”といったゆるいアドバイスだけでした。

医師としては、積極的に働くことを勧めないという意味でもあります。

──病気になった後、働く上で助かったこと・良かったことはありますか?

在宅勤務でできることなど、会社でも検討でき、他の人の働き方に役立つこともありました。

ご家族について

──告知時の状況を教えてください。

配偶者・子どもがいました。

──病気を理由に、恋愛や家庭状況などで困ったことはありましたか?

主人は、病気および私の病気との付き合い方にあまり興味もなく、知らない振りをしていたいようで、私が気分が落ち込んでも話を聞いてくれません。子供達のことなど、不安が増しました。

──パートナーや家族へは、どのように病気のことを伝えましたか?

主人にも娘達にも病名、これからの治療などサラっと簡潔に。あまり感情的にならないように伝えました。

──ご主人に「SLE」と「膵臓がん」それぞれどのようにお伝えされたのでしょうか?

SLEは、医師から「家族に説明したいので来てもらってください」と言われ、私自身もよくわからないまま「難病のSLEで、検査、入院、治療が必要らしい」くらい簡単にしか伝えませんでした。

その後は、少しずつ説明しても、あまり興味はなさそうでした。

すい臓がんは、私が落ち着いて病名を伝え、医師からの説明も伝え、検査入院して手術前説明になって、やっと主人を医師に引き合わせました。

いくら説明してもあまり理解していると感じられず、病院に備え付けの解説リーフレットなどを渡して読んでもらうようにしていました。

──娘さんたちには「SLE」についてはどのように伝えていたのでしょうか?

娘達は、赤ちゃんの時に発病、また発病後に出産した子でもあり、”病気を持っている、いつも薬を飲んでいる、病院に定期的に行っているお母さん”という認識で育ってきているので、あえて特別な説明・伝え方はしていません。

時折、テレビなどで膠原病やSLEを取り上げられているものを見たときに追加で、「母さんはあれよ~」と。

日常生活で疲れないようにダラダラして、紫外線や寒冷だけは避けることは伝えています。

──その後「膵臓がん」について知った際の娘さんたちの様子を教えてください。

とても驚いていましたが、私自身が落ち着いて説明し、「母さんは治すつもりでいるし、病気だから特別な生活ではなく、普段通りのあなた達の生活を守っていきたいから。自分のことをしっかり考えなさい」と言ったからか、お互い涙が少し出ましたが、淡々としていました。

──告知後、家族との付き合い方に変化はありましたか?

はい。

家のこと家事などはほとんど私一人がやっていましたが、一部は分担してやるようになりました。

最近のお食事。味覚障害が半年以上続くものの、いろいろチャレンジしているそう。
──病気になった後、家族がいて助かったこと・良かったことはありますか?

主人は生活費・病院代など、定期的な収入源として頼らせてもらってます。娘達は、やはり存在が病気に負けまい!の気力になりました。

──ご主人について、具体的に「こうしてほしい」という要望はありますか。

気持ちは元気な私ですが、体調は日ごと・時間帯でかなり変動し、動けない日もありました。その際に、私の発する言葉に自分の受けた感じ方だけで反応し、何もお願いできないような時期がありました。寄り添ってもらえず、大変辛かったです。多分、辛そうな私を見る・手伝う・助けるという行為そのものが、主人自身が辛くてできなかったのでしょう。

最近は、主人なりにできることを明確にお願いするうようにしました。主人自身も周囲から少しは何か言われたのか、ちょっと私の楽しい時間に対する希望に耳を傾けてくれるようになりました。(病気療養のお手伝いでない部分)

希望としては、娘たちのことに目を向け、父子での生活というイメージも持って、生活してほしいです。

──娘さんたちが生きる活力になっているのですね。特に嬉しいエピソードや、良かったことがあれば教えてください。

長女と三女は、発達障害診断あり、他人に興味を抱きにくいこともあり、表情もそんなに出しません。次女だけが、私の辛い様子に一喜一憂して、涙してくれる場面も。

個性たっぷりのそれぞれの興味のあるものなどの話を面倒でも付き合うと世界が広がります。多分がんになってなかったら、放っておいて同じ話題で会話する機会がなかったこともあると思います。

今、コロナ対応で自宅に皆そろって日々を過ごしていますが、食べることだけ私は手をかけていて、娘たちがあれこれ感想を言ったり、希望を言ったり、楽しい時間が過ごせることは何より幸せだと感じています。

最後に

──同じ病気を患っている方や、特に複数の病を治療している方にメッセージをおねがいいたします。

SLEに罹患した際にかなり動揺し、治らない病気を持って生きることへ不安ばかりの時期がありました。時間とともに病気も気持ちも落ち着いた経験があるからか、膵臓がんは予後が悪いことはわかっていても、冷静に受け止めています。きっと、初めてがんになっていたら、不安で今のような日々明るい生活はできていないと思います。

病気になったことをあれこれ考えても何も良いことがない。原因は、宝くじに当たったように自分に与えられた使命と諦め、何ができない・・ではなく、できることを探して日々の積み重ねが大切だと。

今治療法がなくても急に何か変わるかもしれない。希望は絶つのではなく、つないで先を見ること。決して、医師や家族が決めることではない。

自分の人生は、自分で歩みましょう。私は、病気になったことはイヤな出来事だけど、それだけに振り回されるのはイヤ。

自分の好きなこと、楽しいことを、できることで一日一日を過ごしていきます。

お話を伺って

mimimiさん、ありがとうございました。

時間をかけて難病SLEを受け入れて付き合い方も身に付けてこられた経験が、新たな病気を受け止めるベースになったのですね。元々もっている持病の治療とがん治療を並行する様子も教えていただき、どちらの主治医ともしっかり話すことが大切なのだと感じました。

緩和ケア科へつないでもらえず辛かったことや、茶話会で充実感が得られなかったことなど、精神的なケアが不足している状況もわかりました。ボランティアとして患者会に20年以上参加されているmimimiさんだからこそ、客観的に見ることができているのかもしれません。

「決して、医師や家族が決めることではない。自分の人生は、自分で歩みましょう」

というメッセージは様々な病気の方に通じますね。ありがとうございました。

AFTER5では、引き続きインタビューに答えてくださる方を募集しています。あなたの体験が、誰かの希望になります。ご協力ください!

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