がんや難病などを告知された患者さんの「告知から5年以降」の情報を集めていく「AFTER5(アフターファイブ)」。まずは試作として第0号の記事を公開します。
プロジェクトメンバー同士で議論した、病気になってすぐ聞きたかったことや、今だから言えること。AFTER5代表へのインタビューとして、立ち上げに対する思いとともにお届けします。
2015年に乳がんの宣告を受け、現在はIT企業に勤務しながら闘病ブログ「おっぱいサバイバー」を運営し、自身も5年生存を目前に控えるchiraはどんな気持ちでAFTER5を立ち上げたのでしょうか。
※本記事は試作のため、5年経過以前の情報を掲載しています。
抗がん剤の副作用はつらかったけど、今は普通の生活を
── まずは病名と病歴を教えてください。
chira 2015年、28歳の時に乳がんステージ2aになりました。5月2日に告知されたので、今年5月でちょうど5年目を迎えたところです。
── 病気に気づいたのはどういう経緯だったのでしょうか?
chira 告知を受ける4ヶ月前、2015年1月くらいに胸のしこりが気になっていました。そのため、会社で毎年実施している健康診断で、乳がん検診のオプションを付けました。そこで「要精密検査」という診断結果があり、精密検査のために行った乳腺外科で発覚(確定診断を受けた)という流れです。
もう少し早く病院に行けば良かったという気持ちも多少ありましたが、今となっては「健康診断で見つかってよかった」という気持ちの方が強いですね。
── これまでの治療や現在の体調について、話せる範囲で教えてください。
chira 告知後に2週間くらいかけて、がんのタイプや転移状況など詳しい検査をしてから、術前化学療法、手術(温存)、放射線、分子標的薬(ハーセプチン)、ホルモンといった、“がんの標準治療のフルコース”を行いました。現在はホルモン治療のみ続けています。最初の治療開始から、トータルで10年間かかる予定です。わたしの場合は、がんのタイプや年齢を鑑みて、再発のリスクを極力抑えるために長丁場の治療と主治医に聞いています。
告知を受けてから1年半〜2年くらいで、告知前と同じくらいの普通の生活に戻って、今はもう病気であることを思い出す機会は少ないです。定期的に通院しているので、そのときに思い出すくらい。
── 治療による副作用など、困ったことについて教えていただけますか?
chira 抗がん剤治療中は結構つらかったですね。倦怠感・吐き気・脱毛・下痢・白血球の減少などがありました。その時はもう休職期間に入っていたので、治療に専念して、とにかく副作用に耐える日々でした。
ただ、抗がん剤は3週おき、副作用がつらいのはその後1週間くらいがピークだったので、その期間以外は買い物に行ったり好きなものを食べたりして過ごしていました。
今は、「以前よりも頭痛になりやすい」「乗り物酔いになりやすい」というのが気になっています。主治医によるとそれらはホルモン治療による副作用らしいので、うまく付き合っていくしかないとのこと。市販の頭痛薬や酔い止めを持ち歩いたりはしていますが、日常生活には支障は全くなく、ほとんど普通に暮らしています。
告知から3日目にやっと「自分ごと」として受け入れた
── 告知を受けた際の心境についてお聞かせいただけますか。
chira 女性にとって乳がんは身近な病気なのですが、20代で発症する患者さんは少ないんですよ。
でも、たまたま(20代で境界悪性卵巣腫瘍と診断された)タレントの麻美ゆまさんのインタビューを読んでいたこともあって、若くても可能性はゼロではないという覚悟はありました。そのため、医師から乳がんであることを告げられた時も、「やっぱりそうかー」と自分でも驚くほど冷静でした。その直後に別室で看護師さんとの面談があったのですが、そこでも泣くこともなく。看護師さんも、私が笑顔でいることに少し驚いてました。
── ご家族にはいつ話されたのでしょうか?
chira 夫には、精密検査が必要になった時点で共有していました。その後の通院にも必ず付き添ってくれていました。針生検(針を刺して細胞を取り、悪性かどうか判断する)を受け、翌週に結果を聞きに行ったときは、看護師さんに「ご家族も一緒にどうぞ」と呼ばれて……。その時点で、お互いに最悪の覚悟があったように思います。夫が取り乱さないでいてくれたことで、安心できました。
その後3日経ってから、急に怖くなって。やっと「自分ごと」としてがんを受け入れ始めたんだと思います。告知直後は、どこか他人事だった。気分転換のための旅行ということで広島に出かけていたのですが、そこで人目もはばからず街中で泣いていました。それでも、一緒にいた夫はずっと何も言わなかったので、ありがたかったです。
── 恐怖を感じたとき、どういうことを思っていましたか?
chira ちょうど2020年に開催される東京オリンピックが話題になっていた時期だったので、「東京オリンピックを見られるかなあ」と考えていました。乳がんのステージ2aは5年生存率が90%を超えているんですが、それでも死の恐怖が湧き出てきました。
がんになった結果ヒロインが亡くなる映画が流行ったこともあって、「死」の印象が強かったし、がんに関する知識もなかったので、怖かったんだと思います。今では、治療後も元気な患者さんをたくさん知っているので、恐怖はないですね。
4年経って、より自分らしく生きている
── 4年経過して、変わったことを教えてください。
chira 早期の乳がんは、生存率も高いし治りやすい病気であるということは、告知を受けてすぐに自分で調べました。でも、仮に治ったとしても、バリバリ仕事をしたり、趣味を楽しんだりするという人生はもう送れないんじゃないか、という思い込みがあったんですよ。
実際はその想像とは違っていて、毎日普通に暮らしてます。告知前と同じ会社で同じ仕事をして、同じ家で、同じ家族と暮らしています。当時より、猫が1匹増えましたが。よく「重病を患うと人生観が変わる」なんていいますが、そこまで大きな変化はないかな……?
告知後から8ヶ月くらいは、とにかく我慢をせずに生きようと思ってました。それまでは太ると思ってほぼ買わなかったスタバのフラペチーノを飲んだり、ラーメンを食べたり(笑)。休職期間を終えて復職した後は「とにかく元に戻ること」を優先していたので、リハビリという気持ちで仕事も家事もやっていました。
── 「元の生活に戻れた」という実感があったのはいつ頃でしょうか。
chira 告知から1年半か2年くらいで、元の生活に戻っていました。だけど、なぜかやる気があまり出なくて。「頑張って働く必要ってある?」とか、「家事はもっと手を抜いて良いのでは?」とか、ずっと生き方について考えていました。治療中は、生きてるだけで褒められたのに、普通の生活ってそうじゃない。仕事では成果を出すことが必要だし、家事も主体的に行わないと進まない。普通の生活を送ることも結構しんどいんだなと思いました。
でも、そもそもその考えがもったいないな、って考え直しました。告知から4年経ってそのことに気付いて、本当にやりたいことをして生きていこうと強く思えるようになりました。もしかしたらこれが「人生観が変わった」ということなのかもしれないですね。病気のせいなのか、年齢のせいなのかはわからないのですが。
── お仕事には何か変化がありましたか?
chira ありがたいことに治療や病気に対して理解のある会社で、8ヶ月の休職期間後は、時短勤務で復帰しました。病気による配置転換などはなく、職種も変わっていないです。
最近は、会社とは別に、がん患者に関わるコミュニティでデザインや開発のお手伝いをしています。もともとは、同じ病気の人と積極的に関わりたくなかったんです。病状を比べてしまうのが怖くて。でも今は、「自分の体験を他の方々にも還元したいな」という気持ちが強くなりました。
── もしよろしければ、病気と結婚や妊娠などの関わりについて教えてください。
chira 結婚後3年ほど経った時に乳がんの告知を受けていて、子どもはいません。
妊娠については、抗がん剤治療を始める前に、受精卵を保存しておくという選択肢もありました。告知を受ける前からずっと子どもをどうするか悩んでいたんです。そんなタイミングで病気になったので、むしろ「産まない」と決心するために背中を押されたような気がしています。今は、夫婦ふたりで楽しく暮らしています。
あのときの自分へ。これから治療をする人へ。
── あの時こうしておけばよかった、と思うことはありますか?
chira がんの治療をすると医療保険に入れなくなるため、「保険に入っておけばよかったかな?」くらいですね。正直、20代の人に医療保険・がん保険を積極的に勧める理由もないので、後付けなんですけど。
あとは、友達や家族など、会いたい人には会いたい時に会っておくことかな。自分の病気はもちろん、相手もいつ病気になるかわからないと思うようになりました。
── 4年前の自分へ伝えたいことはありますか?
chira 告知後の心境はドン底で、これは私だけではなくて他の方ももちろんそうだとは思うのですが、「なんとも言い表わせないしんどさ」がありました。その後の治療もつらかったけれど、これはすぐに慣れます。家族も友達も同僚も、みんなすごく優しくしてくれるので安心して休みましょう。
今だから言えることですが、あっという間に元の生活に戻るので、むしろ社会人になって初めての長期休みを楽しむくらいの気持ちでも良いんじゃないかなって思います。
── これからやりたいことや夢があれば教えてください
chira 乳がんの疑いがあると言われてから、幅広い情報をネットで検索してきました。病気や治療について、その後の生活に関することまで。
それからずっと「治療中の情報を発信している人は多いけれど、その後のことはほとんど分からない」という課題意識を持っていました。また、仕事柄、インターネットの情報に対してネガティブな面もポジティブな面も見てきたので、いつか自分の経験を生かしたいという気持ちがありました。
そういう中で、自分の治療や病気と向き合う気持ちも落ち着き、5年経過を目前とするこのタイミングで、がん患者や難病の方に向けたWebメディアを作ろうと思い立ちました。Twitterで呼びかけたところ、数人のメンバーが集まり、「AFTER5」を立ち上げました。
これからは、幅広い病気の方々にお話を聞いていきたいと思ってます。まずは何よりわたし自身が読みたいので、ぜひ多くの方のご協力をよろしくお願いします。
── ありがとうございました!