がんや難病などを告知された患者さんの「告知から5年以降」の情報を集めていく「AFTER5(アフターファイブ)」。第2回記事の公開です。
今回はアンケートに回答くださった方の中から、か〜ささまにお話を伺いました。術後で発声が難しいということから、メールにてインタビューを実施。娘さんに対し1年以上病気について話せなかったこと、職場復帰の難しさなどを伺いました。
インタビュー日: 2020年2月
闘病中のお写真や脱毛の様子などを掲載しています。病後間もない方など、治療への不安やトラウマがある方は、ぜひお元気なときに閲覧ください。
プロフィール
- 名前
- か〜さ
- 年齢・性別
- 1974年生まれ、女性。
- 家族構成
- 夫、娘。
- 病歴
- 2015年、41歳で「腺様嚢胞がん」の告知を受け、その後検査や治療を経て現在ではステージ4が確定している。
- ステント留置術、放射線治療、凍結療法、ラジオ波焼灼、抗がん剤治療、免疫チェックポイント阻害薬、現在も通院治療中。
病気と治療について
── 病名を知ったきっかけを教えてください。
か〜さ:1年半以上続いていた咳に悩み、CTを撮ってもらったら、気道が1センチもなく、即大きな病院へ行くように言われました。
── 治療中一番困ったことは何ですか?
か〜さ:気道を確保するために気管支に入れたステントが原因で更に咳が酷くなり、一睡もできなかった4ヶ月間。体力的にも限界でした。未だに布団に仰向けの状態で寝れません。
── 良かったことや助けられたことはありましたか?
か〜さ:医療者の方に悩みを聞いてもらえることや、がんになってから出会った友達の支えです。
主治医の先生とは別に、わりと早期から緩和ケア外来にかかってメンタル面のケアをしていただいています。必ず主治医の診察の後に緩和ケアにかかり、不安な気持ちなどを話して気持ちを軽くしてから自宅に帰るようにしています。本当に助かっています。
がんのお友達との出会いは、家族には話しにくい悩みや、がんになった人じゃないとわかり合えない話を気兼ねなく話せること、そして「一人じゃないんだ!」と思えることで、生きる力になります。
仕事について
── 治療中、仕事は継続しましたか?
か〜さ:保育士、販売のパートをしていましたが、最終的には退職をしました。
最初のうちは休職させていただきましたが、復帰後、気管支の治療をしたことによる、声の出しづらさや、吸入などを1日4回しなくてはいけないなどがあり、声を使う仕事は難しいと感じて退職しました。また、元々パートだったため、さまざまな補償はなく、仕事についてどこに相談すれば良いのかも知らなかったため退職しました。
── その選択について、振り返って考えてどのように考えていますか?
か〜さ:相談する場を知っていたら、もしかしたらすぐには辞めなかったかもしれません。
── 職場への報告で不安だったことや困ったことはありましたか?
か〜さ:人事部や上司など、限られた人にのみ報告しましたが、哀れみの目で見られないか不安でした。
── 病気になってから現在に至るまで、仕事をする上で困ったことや嫌だったことはありますか?
か〜さ:同僚からは「楽して給料もらってる」など陰で嫌味を言われました。
治療後に職場復帰した際、私の病気を知らなかった人たちから「同じ時給なのに、楽な仕事ばかりしていてずるい」と陰口を言われてすごく嫌な気持ちになりました。しかし、私が職場の全員に病気を公表してなかったので仕方がないと思います。
── 病気になった後、就職や転職で困ったことはありましたか?
か〜さ:がんと伝えると仕事に就けないことです。
再就職でポスティングの仕事に就きました。その際、病気を公表しませんでした。しかし、仕事をお休みするときに病気について伝えたところ、いつの間にか職場から連絡が来なくなり、事実上は辞めさせられたような感じです。
家族について
── 病気を理由に、恋愛や家庭状況などで困ったことはありましたか?
か〜さ:私の入院中に、娘が不登校になりました。
── ご家族へは、どのように病気のことを伝えましたか?
か〜さ:娘にはなかなか伝えることができず、1年以上隠していました。
娘に話すことを悩んでいたとき、通院先の緩和ケア外来に相談しました。緩和ケア医に相談して、話す時期や、話し方、話す環境など、また子どもの反応に対する対応の仕方など、事細かく相談に乗っていただき、やっと伝えられました。
その後もずっと、私はもちろん、娘や家族の相談にも乗っていただき、時には子どものケアもしていただいてます。そのおかげで、今は安心して生活できています。
── 娘さんはどんな反応でしたか?
か〜さ:娘はがんと気づいてなかったようで「ふーん、そうなんだ。」という感じでした。とにかく自分だけが教えてもらってなかった事に対して、激しく怒りました。「家族の中で私だけ知らなかった事がショック!!」と怒っていました。
── その後、家族との付き合いにどんな変化がありましたか?
か〜さ:まず、娘に病気のことを話し、娘の前で嘘をつかなくていいという、ストレスがなくなりました。
娘にも病状をきちんと伝えることで、助けて欲しい時は素直に私も助けてとお願いでき、娘もそれに対して動いてくれます。また、家族で今大切にしたいことを共有し、やりたいことをやっていけるようになりました。
娘は、「がん」について正しい情報を詳しく学びたいと思い、小学6年生の時(2018年夏)と、中学1年生(2019年夏)の夏休みに、自由研究で「がん」について調べてまとめました。
子育て世代でがんになると、患者本人も、支える側のパートナーも想像以上に大変で、家の中はぐちゃぐちゃになります。近ごろは患者本人の支援は充実してきましたが、患者家族の支援や残された子どもたちのグリーフケアがまだまだ忘れられていると思います。家族支援がもっと充実してほしいです。
── 「グリーフケア」について触れられています。お子さまや家族支援について、これからの社会に望むことを教えてください。
か〜さ:住んでいる地域が田舎なのもありますが、なかなか子どものケア、家族のケアがないのが現状です。患者本人よりも、残される家族の方が辛いと思います。特に子どもは。 子どもは、学校や周りの大人たちなど、関わる方たちで生きやすいかどうかが決まってしまいます。周りの方からは「しっかりしてるから大丈夫!」とよく言われますが、それもパッとみた印象で言っているだけですし、もししっかりしているように感じるのであれば、それは、がんでも母が生きているからだと思ってます。また、働く世代の主人が、仕事をしながらシングルファーザーとして、子育ても家事も生きていくためにしなくてはいけない。配偶者を亡くした悲しみを抱えながら。
以前ドクターからも「家族の中で、母親ががんになったり亡くなったりする家庭の方が、父親ががんになったり亡くなった家庭より、家の中が大変になる」と言われました。
残された子どもや家族の話を聞いてもらえる場所が増えることや、理解してもらえる社会になって欲しいです。家族も第二の患者と言われますし、残された子どもや家族の支援がもっと広まっていく事を切に願います。
── 告知から5年以上経過した か〜ささま から、現在闘病している方に何かコメントをお願いします。
か〜さ:がんになってよかった!とは思わないけど、自分に合った、サポートしてくれる人や場所は必ずあります。あなたは一人じゃないよ。
そして、がんになると急に不安に襲われたりと、精神的に不安定になりますし、気持ちにも波があります。でもそれは自然なことだし、生きているからこそだと思います。だから「どんな気持ちになってもいいんだよ」という事を一番伝えたいです。どんな気持ち(ネガティブな気持ちになったり、落ち込んでも大丈夫)であっても自分を責めなくていいよ、と。
誰でもマイナスの気持ちになると、自分はダメなんだ……と自分を責めてしまうので。
── ありがとうございました。
お話を伺って
今回は、初めてAFTER5のプロジェクトメンバー以外の方のお話を伺うことができました。か〜ささん、改めて貴重なお時間をいただきありがとうございました。
特に印象的だったのは緩和ケア外来の使い方。一般的に「緩和ケア」というと、痛みを取り除くためや、身体が動きづらくなってから利用するイメージの方もいるのではないでしょうか? 娘さんへの情報共有も参考になりました。「自分だけ知らされていない!」という感情は、大切な家族だからこそ持ってしまうもの。それぞれの患者家族の形にあった伝え方があります。正解はひとつではないから、社会全体でのサポートが重要になるのだと思いました。
AFTER5では、インタビューに答えてくださる方を募集しています。あなたの体験が、誰かの勇気につながります。ご協力ください!