AFTER5

がんや難病の「5年生存したら、その後どうなるの?」を伝えるメディア

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No.6 突然の子宮頸がん告知、手術、離職。術後の体調と仕事の両立に苦労されたココさまの記録(前編)

がんや難病などを告知された患者さんの「告知から5年以降」の情報を集めていく「AFTER5(アフターファイブ)」。

今回は、2004年に子宮頸がんの告知を受けたココさんにお話を伺いました。

仕事は辞めさせられ、恋愛も諦めたというココさんが、趣味と出会いパートナーを得て、楽しく働く今に至るまでの記録です。

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プロフィール

  • お名前:ココ 

  • 年齢・性別:1970年生まれ・女性

  • 家族構成:現在は夫と2人暮らし 告知時は未婚のため両親・姉と同居

  • 病歴:2004年 子宮頸癌

  • 告知時の年齢:33歳

 

病気と治療について

── 病気が発覚した経緯を教えてください。

告知の半年ほど前から、不正出血をするようになりました。それ以外には、どこか痛いとかつらいということはなかったので、さほど気にしていませんでした。

そのうちゼリーのような血の塊が出てくるようになり、それから出血が止まらなくなり、生臭い匂いがするようになりました。

これはさすがにおかしいと思い、婦人科を受診したところ、すぐに大きな病院に行くようにと言われました。

翌日、千葉がんセンターを受診したところ、細胞診を待たずに当日99%癌であると告知を受けました。

── 細胞診を待たずに当日ですか・・・。どんな心境で受け止められましたか。

告知直後は何も思い浮かばなかったです。

告知後しばらくはなんだかドラマの中にいるような気持ちでした。

私の癌はすでに5〜6センチになっていたので、すぐにでも入院・手術が必要ということで、あっという間に時間が過ぎて行きました。

 ── 治療の具体的な流れを教えてください。

告知から約2週間後に、福岡がんセンターに入院しました。

入院から1週間後には子宮広汎全摘除術を受けました。

手術の時にリンパ節の切除をしたのですが、リンパ節転移がなかったということで、抗癌剤は様子をみようということになりました。担当の先生が、病室に飛び込んできて「奇跡が起きました!」と言ってリンパ節転移がなかったと告げられたのですが、私にはよくわかってなかったです。ただ良いことだということはわかりました。

そのあと、トイレトレーニングのためさらに1ヶ月入院しました。

── トイレトレーニングが必要になったのですね。

手術が終わったあと、尿意が全く感じなくなり排尿が困難になりました。

子宮広汎全摘除術の後遺症としてよくあることらしいのですが、手術前に伺っていなかったので、パニックになりました。

 ── よくあることでも患者にとっては初めてのことですよね。病院や社会制度などに対して「こうしてほしい(ほしかった)」ということはありますか?

手術の説明の時に、尿意が無くなる可能性や、排尿困難になる可能性があることはきちんと説明して欲しかったと思います。

 ── 尿意が感じづらくなるというのは、トイレに行きたいタイミングがわからなくなるということでしょうか?

トイレに行きたいと感じなくなること。

そして、尿を自然と出すことができなくなるということです。

尿意を感じないので定期的にトイレに行くのですが、最初は尿を出すことができないので、腹圧や姿勢を変えたりしてなんとか自力で尿を出す訓練をします。

── 事前にそれを知らされていなかったら確かにパニックになりますね。トレーニングが必要なこともよくわかりました。退院後、生活に変化はありましたか?また、今現在はいかがでしょうか?

生活には劇的な変化がありました。

まず、退院直後はおしっこをするのにものすごく時間がかかるので、その点でもなかなか職につくのが難しかったです。

また、職についても、トイレからなかなか帰ってこないため、同僚や上司の理解を得るのは難しかったです。

現在は、トイレの時間が人より少し長いかな?くらいのところまで改善しました。

── 入院中、特に嬉しかったことはありますか?

 病気が発覚して、転職したばかりの仕事は解雇されてしまったのですが、職場の仲間からカンパや励ましの手紙などが届いたときはとても嬉しかったです。

── 入院中、よかったことがあれば教えてください。

良かったことは、自分が意外と楽天家だと知ったことです

── 告知直後は「何も考えられなかった」ところから大きく心境が変わりましたね。気持ちの変化について教えてください。

告知の後は、気がついたら家にいました。

その翌日、会社に電話して、それから数日後に上司が自宅付近まで面談にいらっしゃって、1日も出社することなく退職が決まりました。

病気もですが、社会から締め出されたような気持ちになって辛かったのですが、検査が進んで、入院手術が決まって、いざ入院したらなにか吹っ切れたのでしょうか?

ぐっすり眠ってしっかり食べて元気になってました。

 ── 病気の告知と退職が続くのは苦しいですね。病気を理由に、恋愛や家庭状況などで困ったことはありましたか?

子供が産めなくなったため、恋愛については考えないようにしました。

 

結婚・恋愛について

── 今現在も、「恋愛について考えないようにした」状況は続いていますか?時間が経って変化はありましたか?

現在は、優しい夫に恵まれ、自営で楽しく働き幸せに暮らしてます。

 ── パートナーさんには、どのタイミングでご病気について共有されましたか?

付き合うという話になった時にお伝えしました。

 ── どのようにお話しされましたか?またどのような反応でしたか?

ちょっと考え込むような感じではありましたが「今後のことはこれからゆっくり考えよう」と言われました。

 

家族について

── 家族構成を教えてください。

当時は未婚だったため、両親と姉です。

いまは、結婚しているので、夫と2人家族です。

── ご家族に病気についてはどのようにお伝えされたのでしょうか?

一人暮らしをしていたため、電話で伝えました。

まずは姉に相談した後に、両親に電話しました。

── ご家族に関して、特に嬉しかったエピソードや、良かったことがあれば教えてください。

良かったことはあまり思い浮かばないのですが、父親に病気を告げた直後に、電話越しに「ココが死ぬー」って泣かれてしまって、「まだ死んでない!!」って叫んだ時なんだか悲しんでるのがバカバカしくなったのは覚えてます。

──病気になった後、恋人やパートナー、家族がいて助かったこと・良かったことはありますか?

退院後、仕事がなかなか見つからなかったため、家族の助けで生活できました。

 ──病気になったことで家族との関係に変化はありましたか?

就職をして実家を出てからなかなか両親に会う機会がなかったのですが、闘病中実家で過ごしたため、引っ越した後もよく話すようになりました。

 

 

術後の排尿障害について理解しないまま起こった体調の変化、そのためのリハビリと、告知から生活が激変していった様子を教えていただきました。

一方でパートナーとの出会いを経てご結婚された未来の話もありました。

前編はここまで。次回の後編はココさんの”病気と仕事”についてお届けします。